2つの単語を繋ぎ合せた時に、後ろの単語の頭が濁る場合と濁らない場合がありますよね(もちろん後ろの単語の頭がカ行・サ行・タ行・ハ行など濁ることができる場合だけですが)。
两个单词组合在一起时,后面的单词词头会有发生浊化或不发生浊化的情况吧(当然仅限于词头为カ行・サ行・タ行・ハ行等能发生浊化的单词)。
例えば「流れ」+「星」は「ながれぼし」となって「ほし」が「ぼし」に変わるのに、「流れ」+「作業」は「ながれざぎょう」にはなりません。この違いはどこから来るのでしょう?
比如“流れ”+“星”便成为“ながれぼし”,这里“ほし”变成了“ぼし”,但是“流れ”+“作業”却不会变成“ながれざぎょう”。这种不同到底是什么原因造成的呢?
これには緩い原則ですが、ちゃんとしたルールがあります。私もごく最近(と言っても10年くらい前のことですが)までこのルールを知りませんでした。
其实这里还是有规律的,只是没那么严格。我也是直到最近才知道的(说来也是大约10年前的事情了)。
【法則1】後ろの単語が濁音を含まない場合は語頭が濁音化するが、後ろの単語が濁音を含む場合は濁音化しない。
【法则1】后置的单词不含浊音的话,词头发音浊化,若后置单词包含浊音,词头不浊化。
例えば
比如:
高野+豆腐(とうふ)→こうやどうふ / 高野+聖(ひじり)→こうやひじり
下+拵え(こしらえ)→したごしらえ / 下+調べ(しらべ)→したしらべ
舌+平目(ひらめ)→したびらめ / 舌+鼓(つづみ)→したつづみ
人+殺し(ころし)→ひとごろし / 人+騒がせ(さわがせ)→ひとさわがせ
なお、「したつづみ」のことを「したづつみ」と言う人がいますが本来それは間違いです。
另外,有人会将“したつづみ”读成“したづつみ”,这本来就是错误的。
「鼓」のことを「つつみ」だと思い込んでいる人がいますが、そもそもそこが間違っているのであって、もし「つつみ」であれば確かに「舌」+「つつみ」→「舌づつみ」になります(「風呂敷包み」と同じです)が、「鼓」は「つづみ」で既に濁音を含んでいるので頭は濁らないし、仮に濁ったとしても「づづみ」になってしまうはずです。
有人一直以为“鼓”发音是“つつみ”,这本就已经错了,要真是“つつみ”的话,确实“舌”+“つつみ”会成为“舌づつみ”(和“風呂敷包み”同个道理),但是“鼓”(つづみ)本身已包含浊音了,因此词头不浊化,就算浊化了也应该变成“づづみ”。
ただし、この間違いは必ずしも「鼓」を「つつみ」だと思っていることが原因ではなく、例えば「お騒がせ」が「おさがわせ」になってしまうのと同じメカニズムであると説明する人もいます(これを「音位転換(Metathesis)」と言うそうです)。
不过,也有人这样解释,这种错误并非一定是将“鼓”误读为“つつみ”造成的,比如“お騒がせ(おさわがせ)”这个词,有人会读成“おさがわせ”,道理是一样的(据说这叫音位转换)。
注:音位転換(英語: metathesis)とは、単語の中 で隣り合う音や音節が入れ替わる音の変化のこと。音位転換は多くの言語で日常的に見られる現象である。例えば、「お薬」を「おすくり」と言ったりする。ときに、音位転換後の語形が優勢になり、時を経てそのまま定着してしまう場合もある。
さて、少し逸れてしまいましたので、話を元に戻してもう少し例を挙げてみましょうか。
好了,有些扯远了,回到原来的问题再举些例子看看吧。
手+拍子(ひょうし)→てびょうし / 手+加減(かげん)→てかげん
共+働き(はたらき)→ともばたらき / 共+稼ぎ(かせぎ)→ともかせぎ
夕+立ち(たち)→ゆうだち / 夕+涼み(すずみ)→ゆうすずみ
使い+心地(ここち)→つかいごこち / 使い+邦題(ほうだい)→つかいほうだい
ただし、上で書いたようにこのルールはとても緩い原則なのです。例外を探そうとすればいくらでも出てきます。
只是,正如之前说过那样,这个规则是非常不严格的,要想举出些例外的单词,要多少有多少。
例えば「使い捨て」は「つかいすて」であって「つかいずて」ではありません(「捨て」は濁らないのかと言えばそうでもなくて「聞き捨てならない」の場合は濁っています。この違いは説明できません)。
比如“使い捨て”读法为“つかいすて”而不是“つかいずて”(要说是“捨て”这词不会发生浊化那也不是,在“聞き捨て(ききずて)ならない”这个单词中还是会浊化的。这种区别解释不了。)
また、相撲の技で「上手」+「ひねり」は「うわてびねり」ではなく「うわてひねり」です。「恋愛結婚」は「れんあいげっこん」ではなく「れんあいけっこん」だし、「商業高校」は「しょうぎょうごうこう」ではなく「しょうぎょうこうこう」です。
另外,相扑中的招数“上手”+“ひねり”变成“うわてひねり”而非“うわてびねり”。“恋愛結婚”读音为“れんあいけっこん”而非“れんあいげっこん”,“商業高校”读音为“しょうぎょうこうこう”而非“しょうぎょうごうこう”。
後ろが漢語の場合は当てはまらないことが多いような気もしますが、しかし「小田原提灯(おだわらぢょうちん)」とか「裏なり瓢箪(うらなりびょうたん)」、「歌合戦(うたがっせん)」、「丁稚奉公(でっちぼうこう)」など、どれも見事に濁音化しています。
能感觉到后置单词是汉语词的话,这个规则大多不适用,但是像以下几个单词,“小田原提灯(おだわらぢょうちん)”“裏なり瓢箪(うらなりびょうたん)”“歌合戦(うたがっせん)”“丁稚奉公(でっちぼうこう)”等,又各个都彻底浊化了。
どうも古い言葉の(例えば江戸時代から使われていたような)場合はこの原則が当てはまる確率が高いのに対して、新しい言葉では当てはまらないことも多いように思います。
看来如果是老式词汇(比如江户时期便开始使用的)的话,这个规则有相当大的可能性是适用的,对于新词就有很多不适用了。
なんて書いておきながら「交替交替」は「こうたいごうたい」ですが「参勤交代」は「さんきんごうたい」ではありません。こりゃダメですね。
虽然这么说了,但是像“交替交替”这个词是“こうたいごうたい”,“参勤交代(さんきんこうたい)”这词却不读“さんきんごうたい”。这么说又不对了啊。
ただし、これは言えそうです。
【法則2】前が漢語の場合は濁音化しない。
【法则2】前置单词是汉语词的时候不发生浊化。
だから「恋愛結婚」や「商業高校」、「参勤交代」は当たらないのです(「交替交替」は同じ単語の反復なのでちょっと違うケースに分類しておきましょう)。でも、最初の例「高野豆腐」は濁ってるんですけど、まいっか。
怪不得“恋愛結婚”“商業高校”“参勤交代”这几个单词不适用前面的规则了(“交替交替”一词因为是单词重复,所以暂且归到别的情况下吧)。只是,文章开头的“高野豆腐”那个词还是发生了浊化,哎,就这样吧。
【法則3】後の単語が外来語の場合は濁音化しない
【法则3】后置的单词是外来语的话发音不浊化
のは確かです。
这是肯定的。
例えば「お試し」+「セット」は「お試しゼット」にはなりません。「賃金」+「カット」は「賃金ガット」にはなりません。「老人」+「ホーム」は「老人ボーム」にはなりません。「鉄筋コンクリート」も同じです。
比如“お試し”+“セット”不会变成“お試しゼット”;“賃金”+“カット”不会变成“賃金ガット”;“老人”+“ホーム”不会变成“老人ボーム”,“鉄筋コンクリート”一词亦是如此。
そんなことをすると元の単語が何であったか分からなくなってしまいます。
音一浊化,单词原来的样子就容易搞不清了。
「雨」+「合羽(かっぱ)」は「あまがっぱ」です。え、何のことか解らないって?カッパは外来語です。元はポルトガル語です。でも、これなんかはそれこそ江戸時代に入ってきて、漢字まで充てられていて、もはや誰も外来語だなんて思っていないほど純日本語化しています。だからカッパがガッパに濁ってしまったんですね。
“雨”+“合羽(かっぱ)”发音为“あまがっぱ”。啊?你不知道怎么回事?其实カッパ为外来语,原为葡萄牙语。结果这词在江户时代传来日本,连汉字都给它填上了,早已经彻底日语化,以至于谁都认不出它是外来语了。正因为如此,カッパ才会浊化成ガッパ的吧。
って、例外の説明しておきながら、最後になって例外の例外なんか出してくるなよ、ややこしい、って思われたかもしれません。
于是,读者恐怕要这么想了,关于例外你这刚解释了一通,都到最后了就别出来个什么例外的例外了,太烦。
【法則0】言葉なんてそんなもんですよ。
【法则0】语言嘛就是这么回事儿。
結局みんながどう話しているかによって標準が決まってきます。厳格に適用できる文法やルールなんて多分あり得なくて必ず例外があり、その例外にまた例外があり、なんだかなあ、でも、そこが面白いのだと私は思っています。
说到底标准这东西还是要看大家平时怎么说话了。也许本就不存在着什么严格适用的语法、规律之类的,例外必然是存在的,而那个所谓的例外也还是会有例外,这让人说什么好呢。其实,个人认为这才是语言有意思的地方。